過去のアリエッタ交響楽団の演奏会で配布されたプログラムより楽曲解説を公開していきます。第一弾として今回は第8回演奏会のプログラムノートより ブラームス作曲交響曲第1番について掲載します。その他曲目に関しても順次更新予定!!
※なお、公開する文章の権利はアリエッタ交響楽団に属します。無断転載はご遠慮ください。
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
1833年。ドイツ関税同盟が締結され、翌年から施行されることが決定。オーストラリアを除くドイツ地方に一大経済圏ができようとしていた。翌々年にはニュルンベルク・フュルト間で鉄道が開通。ドイツは産業革命へ、そして統一へと突き進んでいく。
産業革命がもたらした工業化は、技術革新という形で音楽にも波及する。とりわけ金属加工の精密化により、従来では実現できなかった楽器や機構が実現され、運用され始めたのがこの時代だった。特許取得年を見ても、金管のヴァルブ機構(1814年)にはじまり、チューバの開発(1835年)、アドルフ・サックスによるバスクラリネットの開発(1834年)、そしてベームによるフルートの新しいキーシステム(1847年)など、新しい楽器や既存楽器の大幅なパワーアップが行われ、それに伴い管弦楽の表現の幅は大きく広がっていた。
1871年。普仏戦争が終結に向かう中で、ヴェルサイユ宮殿にてプロイセン王が諸侯らから推される形で皇帝に即位。ドイツ帝国が誕生する。関税同盟締結から38年が経過していた。
時代が変われば、それに伴って新しい歌、新しい音楽が生まれるのはごく自然なことだ。そうでなくても、ドイツ語圏にはベートーヴェンという「苦難から歓喜へ」を象徴する作曲家が存在する。それまでが苦難だったかどうか、は賛否両論あるが、ドイツ統一という歓喜に際してそれにふさわしい楽曲を、と求める声は多くあったことだろう。
だが、当時のドイツ音楽界はタレント不足の状態であった。本来であれば「老骨最後の大仕事」として新帝国の為の楽曲に挑むべき先達たち、シューマン(存命なら61歳)、メンデルスゾーン(同62歳)らが、いずれも若くして鬼籍に入っていたのだ。残った中で、ワーグナー(当時58歳)は楽曲こそ壮大で管弦楽の表現も多彩だが、どちらかといえば独自路線。浮気駆け落ち略奪愛と身上書に問題が多数ある(上にその経験を楽劇化してしまう)こともあいまって、「ドイツを代表する」作曲家とは目されていなかった。
そんな中、一人の音楽家に注目が集まる。ルター訳のドイツ語版聖書を元にした歌曲「ドイツ・レクイエム」を1869年に初演。甘美な和声と緻密な構成で玄人の定評はあるが、一般的にはクララ・シューマンの付き人。自由都市ハンブルクの出身で、関税同盟締結の1833年に生まれた38歳の新進気鋭。口は悪いが心は真面目。この人なら新帝国にふさわしい音楽を発表してくれる。してくれるに違いない。
…そんな期待の中、ヨハネス・ブラームス(1833-1897)は長年温存してきた交響曲の作曲をスタートする。
1860年代に構想していたという交響曲第1番だが、本格的な製作は1870年代に開始された。
ブラームスはもともとメロディを書くのは得意ではなく、その分緻密な和声と入念な進行で楽曲を構成していくスタイルが特徴的だ。このようなスタイルであれば大掛かりな曲でも道筋を誤らずに進行できるが、完成には時間がかかる。(ちなみに道に迷ってあらぬ方向にでてしまうのが師シューマン。それがいいのだが。)
そうでなくても、ベートーヴェン以来の「交響曲は作曲家の代表作」という風潮もあり、前述した期待も相まって、下手な作品は発表しづらい環境にある。さらになれないオーケストレーション。意外にもそれまでオーケストラの曲はあまり書いてこなかったブラームスは、先述した産業革命による楽器法の進化を吸収するのにも時間を要した。オーケストラの扱いに自信を持ったのは「ハイドンの主題による変奏曲」(1873年)を作曲した頃。この頃から作曲は軌道に乗り始める。
難産の末、1876年に交響曲第1番は完成し、南独カールスルーエにて初演。ハンス・フォン・ビューローの称した「ベートーヴェンの交響曲第10番」という評価は、頑張ったけどそれでも古典的なオーケストレーションや主題構成を皮肉っての発言という異説もある。評価は上々で各地で再演がなされたが、慎重なブラームスは公演のたびに細かい修正や補正を続け、最終的に1877年ロンドンでの公演用に作成された楽譜が決定稿として現在も使用されている。
第1楽章 ウン・ポーコ・ソステヌート~アレグロ
半音階での上行音型、下行音型が交錯する中、「ハ短調+叩きつけるような低音」。「運命」tの類似性がよく指摘されるが、主題そのものだけで進行できる「運命」に比べ、進行とメロディーを分化して担当分けする構造となっており、よりシステマティックになっている。
ソナタ形式の主題部は大きく二つの主題から構成されるが、経過句や主題の逆展開も含めて複雑に進行する。途中「たたたたーん」という運命の動機はベートーヴェンへのオマージュか。基本短調で進行するがコーダで長調に転じて終わるところが、ブラームスらしい優しさを表している。
第2楽章 アンダンテ・ソステヌート
A-B-A’型の緩徐楽章。A部は弦楽器が提示する主題と木管が提示する主題を織り交ぜつつ、B部ではビートを維持しながら2つのフレーズが進行していく。A’部はヴァイオリン、オーボエ、ホルンの三重奏で始まり、ヴァイオリンソロとそのほかの楽器のせめぎあいにより構成される。
第3楽章 ウン・ポーコ・アレグレット・エ・グラツィオーゾ
ベートーヴェンとブラームスを比べるとき、決定的に違うのが早い中間楽章の扱いである。ベートーヴェンは「疾走するスケルツォ」として捉え、一拍子で駆け抜けるのに対し、ブラームスのそれは「舞曲」である事に徹している。この第3楽章もクラリネットのやわらかい音色を誘導句にして、自然と踊りだせる舞曲になっている。
第4楽章 アダージョ~アレグロ・ノン・トロッポ,マ・コン・ブリオ
暗いテーマ~ホルン/フルートにより「そうではない!」と提示する経過句~トロンボーン主体のコラール~主題提示、という構成は「第九」を意識したものと揶揄されるが、それよりも柔らかくすっきしした構成。
主題はシンプルで歌いやすいメロディ。明示的な展開部が無く、再現部が展開部をかねるという無茶振り構成。そこから経過句を経て、疾走するテーマをコラールでぶった切った後、再度疾走して盛り上がって終わる、という終結部は師シューマン譲り。
(T.A.)